2013年9月 3日 (火)

コラム115<札幌紀行>―墓参と家内護送・記事紹介

<札幌紀行>―墓参と家内護送・記事紹介
                
自坊「大給山一心寺」他盂蘭盆会の諸行事を済ませ、引き続き曾ての腹心部下の墓参と家内の老々介護の為札幌に行き、半月余りの東京不在から帰京した。
20年振りの札幌も駅の北側の再開発が完成して、すっかり新しく変貌していた。大成建設札幌支店勤務時の部下が亡くなって、初めての墓参をして、菩提を弔い安堵した。
今回の札幌行の主目的は、札幌の股関節専門の高名な医師の手術を受けた家内の東京までの護送であった。
関節の過度に摩耗した部分に自身の骨を移植する手術であったため、移動が困難で日本航空のスマイルサポートの手厚い支援を受け、無事帰宅した。
一ケ月程は、足に体重が全て掛けられなく、家事他生活支援が不可欠で、老々介護をしなければならい現状です。しばらくは、自宅で家内の介護に関わる日々を送る。
なお、私事ながら現在発売中の中央公論9月号「対談安倍政権”勝負の秋”のはじまり」(牧原東大教授・渡辺北大准教授)P72~P81をお暇の折にご覧頂ければ幸いで す。
 

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2009年9月13日 (日)

コラム63<俳句三昧>

<俳句三昧>―芭蕉良寛一茶を巡る旅

 30歳頃に始めた俳句歴も40年程になろうとしている。30歳半ばで、中近東のイラクでの発電所建設プロジェクト勤務の際に、社内句会に応募した下記の句が、入選して以来本格的に俳句作りに係った。

  “夕焼けや デーツの木々の 寝化粧に”

 現在は、4年前より写真俳句に新境地を見出し傾注している。古希までに1千句の写真俳句作りを目指している。

 6月下旬は、良寛の里の新潟出雲崎から秋田、山形鳴子温泉等奥の細道への旅に出掛け、9月上旬は、一茶の生誕の地であり終の住処を訪ねる吟行の旅をして、俳句三昧の日々を送って来た。旅の途上で得た感動を、写真に残し、ひたすら俳句を作り。帰京後、写真を整理し、俳句を推敲して、写真俳句に纏める。

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2009年7月15日 (水)

コラム61<逆富士山>

<逆富士山>―新幹線で逆富士

 東海道新幹線から晴れた日には、富士山の雄大な姿が見られます。東京発大阪方面行き下り新幹線からは、右側に、大阪方面発上り新幹線からは、左側に富士山は、望めますが、以下の場所では、逆側に富士山が、見えます。ぜひ、一度逆富士を堪能して観て下さい。

1) 東京発大阪方面行き下り新幹線

のぞみ号では、静岡駅を過ぎ、安倍川を渡ると直ぐに車両が、左に緩やかに旋回し始めると約30秒程(こだま・45秒程)の間左側後方に富士山が見られます。

2) 大阪方面発東京行き上り新幹線

のぞみ号では、掛川駅を過ぎ、しばらくしてトンネルを3ヶ所通過します。3番目の日本坂トンネルを出ると直ぐ高架橋を過ぎる直後、右側に富士山が現れます。その間30秒程(こだま・45秒程)です。

(2003年1月8~9日調べ)

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2009年4月 6日 (月)

コラム56<絹道紀行>

コラム56<絹道紀行>―シルクロード
 今回で、シルクロード関連の旅は、5回を迎えた。既に新疆ウイグル地区の中国国境の最西地カシュガルトルファン・ウルムチ河西回廊蘭州・武州・敦煌、インド・ネパール釈迦四大仏蹟等々の玄奘三蔵法師の法の足跡を訪ねる旅を終えている。今回は、玄奘三蔵法師の故里と禅の初師達磨大師の面壁9年と言われる修行の場・達磨洞、少林寺、達磨の墓のある空相寺他を巡る旅であった。玄奘故里には、生誕の家が残され、玄奘三蔵を祀る慈恩院がある立派な寺院であった。一方新たに壮大な伽藍を持つ玄奘寺の建設が、3年後の完成を目指して工事が進められていた。竣工式には、日本の玄奘三蔵法師を初師とする法相宗の総本山薬師寺安田管主も出席された写真もあった。ここでは、玄奘三蔵法師の長兄の系統で第68代目に当たる陳小順さんに歓迎されて、お会いした。

 禅の初師達磨大師の面壁9年の修行の場・達磨洞は、少林寺奥の院の小室山の山頂にある。1300段の急峻な階段を、必死な思いで休み休みに攀じ登った。達磨洞は、閉じられていて、中に入られなかったが、中には坐禅をしている達磨像があった。山頂には、純白の坐禅した大達磨像が遥か下界を見つめて、鎮座している。その小室山の麓には、立雪亭の伽藍があり、達磨大師と慧可は、ここ立雪亭で遭い見えたと言う。慧可の断壁の逸話では、達磨洞で慧可は、達磨大師に見えたと言われている。雪舟の水墨画も逸話通り達磨洞で坐禅中の達磨に慧可が、左肘を切って差し出している図が描かれている。逸話は、逸話で真実は、現地を見ないと分からないものだ、

西暦536年10月5日に遷化した達磨大師の墓所は、洛陽郊外の空相寺にある。煉瓦造りの塔は、当時の儘であるが、達磨大師を祀る伽藍は、文化大革命の時に破壊され、現在も再建中であった。墓所の石碑には、日本達磨会の寺の名前が彫られ、日本の支援が欠かせないようだ。

開封市の大相国寺、洛陽市にある仏教初伝来の中国最古の白馬寺、中国三大石窟の龍門石窟も訪れ、シルクロードの歴史と文化を堪能した旅であった。帰途、北京でオリンピック開会・閉会場となった鳥の巣と呼ばれる北京オリンピック会場と水泳体育館を見学した。中国の国威を賭けた壮大な建物であったが、現在は使用されず記念碑扱いであった。

 今回は、シルクロードの原点と禅の原点を訪ねる有意義な旅であった。

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2008年10月13日 (月)

俳句39<東山魁夷>

<東山魁夷>―生誕百年展

2008、7,29

夏空も

    魁夷の藍も

         水の中

              無庵

   

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2008年3月19日 (水)

コラム43<最新楽機>

<最新楽機>―iP o d

 楽器でなく樂機とは、音楽を奏でる楽器でなく、音楽を聴いて楽しむ機械を指す。具体的には、その最新楽機は、アップル社のiP o dのことである。

昭和54年に新発売されたソニーのウォークマンは当初音楽テープを聞きなが携帯できる画期的な楽機であった。その後、進化して音楽CDへと変わっていった。しかし、テープもCDも再生機も嵩張り、携帯するのには、便利ではなかった。

そんな中、新登場したのが、iP o dだった。最近発売のiP o dは、中機種のmano(8ギガ)で2000曲入力出来、一度の充電で24時間聴取出来る。大きさは、約6センチ角、厚みは、約5ミリ、重さは、約50グラムの驚異的な小型である。

早速購入して、クラシック、ジャズ、童謡、民謡、歌謡曲、御詠歌等々CDで36枚分、559曲をiP o dへ入力した。3月出掛ける中国シルクロード・河西回廊の旅にiP o d携行した。1週間程のバスの移動には、iP o dが大いに活躍した。砂漠の高速道路をひた走るバスで、景色を眺め、好きな音楽を聴きながらの旅は、退屈せず、楽しい旅となった。

iP o dのお陰で、中国シルクロード・河西回廊の旅行中に65句の俳句も出来た。

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2007年6月28日 (木)

コラム33<中国絹道>

<中国絹道>中国シルクロード2

2)ウルムチ市

 新疆ウルムチ自治区の区都で、天山の北麓で、人口208万人、ウイグル族を中心に他民族の近代大都市であり、交通の要衝である。街路樹も多く、ウルムチ川の水源も豊富で、景勝地も多い。

 市内見学は、名所“紅山”に登り、市内を一望した。新疆ウイグル族自治区博物館は、盗難事故があり、急遽閉館されていて、代わりに新疆文物考古研究所を見学した。3800年前のローラン美少女他のミイラが発掘され、展示されていた。砂漠の墓が、ミイラを残し、多くの遺品もあり、学芸員から事細かく説明を受け、中国文化の底の深さを実感した。

 大都市であり、食事もホテルも最高級であった。しかし、トルファンへ向かってホテルを出発したバスが、5分もしない内にエンジンが止まってしまった。原因は、今朝の給油時に、不良ガソリンを入れられたであった。代替バスを待ち、一時間後に再出発となった。歪な大都市の近代化の陰の姿を知らされた。

3)トルファン市

 新疆東部盆地の山間にあるオアシスの街である。だが、真夏の気温は40度、地表温度は60度に達し、“火の州”と呼ばれている。西遊記で孫悟空が戦った火焔山はこの街にある。

街には、天山山脈からの雪解け水を導くカレーズと呼ばれる地下

水が豊富にある。竪井戸が無数に掘られ、井戸と井戸を結ぶ地下水洞が地下水を縦横無尽に運んでいる。そのため、大農園には、葡萄が植えられ、野菜も他の作物も豊富に収穫されている。10種類以上もある干し葡萄の本場でもある。

 火焔山やベゼクリフ千仏洞・高昌故城・交河故城・カレーズ・バザールを訪れた。火焔山は、全長100キロもあり、山ではなく一大山脈である。ベゼクリフ千仏洞は、イスラムに破棄され。20世紀には、日本を含めた西欧諸国に持ち去られ、荒廃甚だしい。高昌故城・交河故城では、廃墟の一部は、補修され当時のよすがが偲ばれた。玄奘三蔵が説法されたと言う遺構の場所で全員般若心経を奉納した。

4)古都西安市

 古都西安市は、かつての長安の街並を最近復活して、綺麗に整備されていた。旧市街は、城壁に囲まれ、東西南北に城門がある、城壁外部には、堀が巡らされ、外敵の襲来に備えられている。城内の街並も昔の気風を保っていた。日本の平城京や平安京の街並が偲ばれる。城外は、近代ビルが建ち並んでいるが、街の雰囲気は、静か

に落ち着いた佇まいとなっている。郊外も乱開発されず、整備されているため、北京や上海と違った心安らぐ街である。

 郊外にある陽帝陵墓の発掘を展示した博物館や玄奘三蔵が持ち帰った仏典を翻訳した大慈恩寺他を訪れた。陽帝の陵墓は、発掘が進み、最近近代的な博物館となり、生前の生活実態がそのまま埋葬され、膨大な埋葬品が陳列されていた。大慈恩寺は、太宗皇帝の命により、玄奘三蔵が、大般若経600巻を翻訳した寺であり、日本の薬師寺法相宗の親寺である。山門の前には、玄奘三蔵法師の巨大な立像が、置かれ今なお、その遺徳を鼓舞している。10層の大雁塔の最上階からの眺望は、十字に走る道路は広く整備され、古都の威容を示している。

                   終了

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2007年6月12日 (火)

コラム32<中国絹道>

<中国絹道>中国シルクロード1

 今年3月5日(月)から3月12日(月)の7泊8日の旅程で、中国シルクロードの旅に出掛けた。旅の目的は、玄奘三蔵法師の足跡を訪ねることであった。訪ねた場所は、中国シルクロードの出発点である西安(旧長安)新疆ウイグル自治区内シルクロードの中国側国境地カシュガル市、新疆ウイグル自治区都ウルムチ市、同じく自治区トルファン市の4都市であった。各都市間は、200キロ以上から3000キロ以上と遠く離れていて、移動は各市内、ウルムチ~トルファン間以外は、飛行機である。玄奘三蔵の唐の時代、長安以西は、中国領土でなく、国法を侵しての求法の旅であった。交通手段は、馬や駱駝若しくは徒歩であった。玄奘三蔵は、16年間掛けて、シルクロードを旅し、インド各地を訪れ、仏教の経典を長安に持ち帰った。

今回訪れた新疆ウイグル自治区は、1000年程前までは、どの国も敬虔な仏教徒の国々であった。仏教が盛んな国々の王たちは、玄奘三蔵を篤く持て成し、教えを乞うた。だが、その頃からこれらの国々は、イスラム教徒や外敵の襲来を受け、順次滅亡した。その結果人々は、仏教から、イスラム教に改宗させられた。仏教の施設や芸術品他も破壊された。それ以後、現在に至るまで、新疆ウイグル自治区の殆どの人々は、イスラム教徒でありイスラム文化が色濃く残っている。

 以下に、今回訪れた、新疆ウイグル自治区のカシュガル、ウルムチ、トルハン及び中国古都西安について記す。

1)カシュガル市

 新疆南部の政治・経済の中心地であり、シルクロードの天山南路と天山北路の交差地点である。新疆最大のモスク(清真寺)があり、手工芸品や歌舞の盛んな街である。

 香妃墓・職人街・モスクを訪れたが、街は活気があり、人々は人懐っこい。野菜も果物も多く、イスラム料理も特に問題はなかった。しかし、街一番の国際ホテル宿泊したが、風呂の給湯設備は不良で熱い湯は出なく、暖房設備も不備であった。快適な環境とは、言えないホテルであった。訪問当日の午後から突如砂嵐に襲われて、突風のため外出は危険であるとの理由で、日程の変更となり、ホテルに足留めされた。砂漠地帯ならではの不慮の出来事であった。

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