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2016年6月25日 (土)

コラム151<煩悩熾盛>

<煩悩熾盛>―“氏より育ち”

一昨日、10日余りの自坊「一心寺」他の行事終え帰宅しました。留守中、庭の紫陽花が、すっかり鮮やかな花を付け、帰宅を迎えて呉れました。

地元愛知県西尾市の保護司3団体(会員300人余)の依頼を受け、「玄行辻説法全国行脚」の一環として西尾市役所大ホールで法話して来ました。

 

法話後、数人の方々が、法話に感動しましたと直接お礼の言葉を掛けられて、恐縮しました。5年余りの辻説法の聴聞者は、2千人余となりました。

昨今、「三つ子の魂百迄」と言われ、「氏より育ち」を実感しています。我が街の都知事の呆れるばかりの守銭奴の実態が暴露され、哀れと言うばかりです。彼の幼少からの赤貧の人生を知るにつけ、カネ・カネの煩悩熾盛の人生観の欲まみれの人生が浮かび、ただただ心貧しいと思われます。

故高倉健さんがかつて対談で述べた「カネ・カネと言っているうちは、人間修行が足らない。」との言葉を彼に送りたい。

併せて、ウルグワィ前大統領ホセ・ムヒカさんの言葉も送りたい。「貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、限りなく多くを必要とし、もっともっとと欲しがること

である。」

我々も、人を非難するだけでなく、他山の石としたいものです。

 

私事ながら、発売中の文藝春秋7月号P266「民進党は”改革”を捨てろ」(牧原 出東大教授)、本日12日、来週19日読売新聞「本よみうり堂・書評」(牧原 出東

大教授)の記事をご覧下さい。

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